2020年08月14日

暴力団だねぇhttps://news.yahoo.co.jp/articles/111ab1c6fd1283844ba564245c05e32bebc680b4

Yahoo:「歌舞伎町ホスト逮捕 コロナ警戒、警視庁捜査員が防護服姿で店を捜索 女性恐喝容疑


女性を脅して多額の支払いを約束する念書を書かせたなどとして、警視庁が恐喝の疑いで、東京・歌舞伎町の有名ホストクラブに所属する20代の男を逮捕したことが13日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は同日、容疑を裏付けるため店を家宅捜索。新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)する中、捜査員らは防護服などを装備して店内に入った。

捜査関係者らによると、男は今年7月、10代後半の知人女性に対し、店で飲食をしたなどとして多額の支払いを約束する念書を書くよう強要したうえ、数万円を脅し取るなどした疑いがもたれている。

男は女性に暴力をふるい負傷させた疑いで逮捕され、その後の捜査で、恐喝の疑いも浮上したという。

歌舞伎町はホストクラブなどで多数の感染者が確認されているエリア。13日は機動隊も加わり、店関係者にコロナ感染者がいる可能性を考慮し、防護服を着用するなどして家宅捜索が行われた。防護服姿の捜査員が次々に店に入っていくと、付近は物々しい雰囲気に包まれ、通行人が「何があったのか」と不安そうに様子を見守っていた。

関係者によると、男が所属する店は歌舞伎町などで複数のホストクラブを運営するグループの傘下で、40人程度のホストが所属しているという。


こういう店が存在しうるってのがおかしいとは思うんですよね
歌舞伎町とかそういう町を一掃できれば良いのにっていつも思ってます
ただそれが出来たとして、その後どうなるかを考えるとやらない方が良いのかもしれませんが
なんにしても、常に警察が介入していくことが出来るように、また捜査員の安全が確保できるようであってほしいとは思います

暴力団の巣窟が普通に存在できるのは不愉快だなぁと思います


で、それもですが捜査員が防護服を着ていたと言うこと
これに対しておかしいって声が出ているのが不思議でなりません

捜査員も普通の人間、感染する可能性が高いところへ行くのですから安全を確保するのは当たり前のことでは無いでしょうか?
先日のキチガイユーチューバーのせいで警官が酷い目に遭っているわけですから、こういう対応は至極当然では無いかと

警察署がクラスターになったらダメだし、捜査員の家族に感染するのもダメなんですから
防護服は必須だと考えます

いつどこで感染するかわからないし、リスクが大きい場所での捜査なんですからこの対応は問題なしです
でも、防護服の暑さ対策はどうなんでしょう?
つくづく日本の治安を守る人たちの装備は超一級品を支給して欲しいものだと思います
より良いもので、身の安全が守られるようにして欲しいです


https://news.yahoo.co.jp/articles/111ab1c6fd1283844ba564245c05e32bebc680b4


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2020年08月13日

科学的な根拠に基づいて、公正に判断すれば良いhttps://news.yahoo.co.jp/articles/217fd18d4e02fad46aab61dbcbc89d404daeb6c5

Yahoo:「官邸「控訴断念の選択ない」 実質的救済も先行き不透明

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」。これを浴びたと訴えた人を被爆者と認め、被爆者健康手帳の交付を命じた司法判断に対し、国と広島県、広島市が12日に控訴した。その一方で国は援護区域の拡大も検討する方針を表明したが、具体的な道筋は見えぬまま。今年で被爆75年、残された時間は少ない。

■首相「黒い雨地域の拡大も視野に」
12日午前、厚生労働省で控訴を表明した加藤勝信厚労相は、訴訟で争点となった援護対象となる地域について、「(支援の)拡大も視野に入れる」と強調した。

広島市や広島県が控訴断念を求める中で、国は控訴を要望。一方で、被爆者救済を求める世論に配慮した判断も迫られた。

これまで国は原爆投下直後の調査で黒い雨が激しく降った「大雨地域」に限定して援護対象としてきた。1970年代の残留放射能調査や91年の専門家会議の報告、2012年に報告がまとまった広島市を中心とした被爆地域周辺の住民を対象にした健康意識調査の分析などが根拠とされる。

しかし、判決は国の主張を全面的に否定。黒い雨の実際の降雨範囲を国が定めた大雨・小雨地域より広いと認定した。これには、「これでは範囲もへったくれもなくなる」(官邸幹部)など政府内で不満が噴出した。

厚労省の担当者も「こうした調査で、大雨地域外は健康に影響を与えるような放射性降下物による被曝(ひばく)は認められていなかった」と指摘。広島地裁判決について「大雨地域の外でも、黒い雨を浴びたと確認され、援護対象になる11の疾患があれば被爆者と認めている。放射線の影響があったかどうかがチェックされていない」と批判する。

過去の最高裁判決との違いも問題視した。最高裁は2017年と19年、長崎原爆の投下時に国が指定する地域外にいた「被爆体験者」の原告を被爆者と認めない判断をしている。国は、長崎の爆心地から最大で南北約12キロ、東西約7キロの範囲を被爆地域と指定し、この地域で被爆した人は被爆者と認められている。いずれの原告も12キロ圏内にいたが、原爆の放射線による健康被害を認めなかった。厚労省幹部は「広島地裁判決は長崎の裁判と違い、対象者それぞれについて吟味した形跡がない。科学的根拠も示されておらず、次々と手を挙げる人が現れれば裁判を繰り返すことになる」と説明した。

安倍晋三首相のもとには与党議員から控訴断念を求める声も届いたが、官邸幹部は「控訴断念という選択肢はなかった」と話す。与党幹部も「インパクトを考えたら政治決断で救った方がいいが、今回の判決では難しい。控訴はしつつ、区域拡大などで実質的に救えるような方法を取るしかない」と語った。

今後の焦点は、政府による再検証に移る。加藤厚労相は「対象の方々の高齢化もかなり進んでおり、スピード感をもって検証作業をしていきたい」と語ったが、検討を指示したのは12日といい、その詳細はほとんど決まっていない。

厚労省の担当者は記者団に「専門家の力を借りなければならない」とし、有識者をメンバーとする検証組織をつくることを示唆。広島県や広島市から区域拡大の要望があったことから、援護対象の区域外でも被爆による健康被害があったかどうかなどを検証するとみられる。

だが、検証の開始時期や結論の時期などを問われても「まだ決まっていない」「今の時点で申し上げる状況にはない」との回答を繰り返した。検証の手法についても、加藤氏は蓄積されてきたデータの活用やAIなどを使うとしつつ、具体的にどのようなデータを使うかなどは明言しなかった。広島県と広島市に控訴を納得させるための「見切り発車」だった感はぬぐえない。

首相も12日、再検証がまとまる時期について記者団に問われたが、「被爆者のみなさまの要望なども踏まえ、黒い雨地域の拡大も視野に入れて検証していきたい」と述べ、具体的な内容には踏み込まなかった。


税金を分配することになる以上、きちんと黒い雨ってものを科学的に分析し、
被害が出るであろう範囲をきちんと線引きして、補償するということにすべき

自称被害者を無制限に補償する必要は無いです


人情とか道義的とかかわいそうとか、そんなもんで国の金を安易に使って欲しくないですね
安易な判断は被害者ビジネスにつながるだけなので、根拠のある人だけに補償をしましょう


https://news.yahoo.co.jp/articles/217fd18d4e02fad46aab61dbcbc89d404daeb6c5


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時間が経てば風化するのは当たり前https://news.yahoo.co.jp/articles/6e9e651c35f8d3e4bf7d4fd3a357fcea102025dd

Yahoo:「遺族会会員、50年で半数以下に 戦争の記憶継承、担い手に課題

太平洋戦争などで亡くなった軍人や軍属の遺族らでつくる「日本遺族会」の支部に当たる47都道府県の総会員数が、記録がある中で最多だった1967年の約125万4200世帯から、2019年には半数以下の約57万世帯まで減少したことが13日、同会への取材で分かった。減少は加速しており、戦争の記憶を継承する担い手を、どう確保するかが課題だ。

日本遺族会は「国民の8割以上が戦後生まれとなり、戦争の記憶は風化される一方だ。時間的猶予はない。若い世代と協力し、平和への思いが多くの人に届くことを願っている」としている。


時間が経てば、どんな悲惨なことであっても忘れ去られるのは当たり前のこと

ずっと昔のことを忘れるなと言われても経験したこと無いことを、自分のこととして考えるのは難しいんじゃ無いですかね?


感情的な部分を抜きにして、歴史的事実だけを記した記録を残して
あとは後世の人たちの判断にゆだねるしかないんじゃないですかね?


https://news.yahoo.co.jp/articles/6e9e651c35f8d3e4bf7d4fd3a357fcea102025dd


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ラベル:歴史 記録 記憶
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離婚したら子供に会えなくなるのはおかしいんでhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e290264a98e165580409a606b7732d7891c10ca5

Yahoo:「「面会交流」請求、二審も棄却 別居の親子、東京高裁

離婚などで別居した子どもと定期的に会う「面会交流」を義務付ける制度が未整備で精神的苦痛を受けたとして、男女14人が国に計900万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(白石史子裁判長)は13日、請求を退けた一審東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。

民法は、離婚時に父母が協議して面会交流について決めると規定。原告側は、子と同居する親が約束を破っても罰則がないのは問題だとして、面会交流保障の法整備が不可欠だと主張した。

昨年11月の一審判決は「面会交流をする権利が憲法上保障されているとは言えず、現行法の規定は憲法に違反しない」とした。


親の勝手で離婚して、片親になって子供が不自由な思いをするのはおかしいわけで
いついかなる時でも、違法行為でも無い限り、もう一人の親に会える機会を作れるようにするのは当然では無いかと
まして親権者が、もう一人の親に会えなくなるように妨害するのは異常なこととして違法行為とすべきでしょうね

そもそも離婚で親権を失うことになるのはおかしいんじゃ無いですかねぇ(個人的にはなるべくなら離婚しないように最悪を回避してほしいものだと思いますが)

で、たいていの場合女親が親権者になって、男親は金だけ払って、子供に会えなくなることが多いらしいです(払わないのは別としますが)
そういうことが無いように、法改正して、両親が責任を持つという形にしなければ駄目でしょうね


https://news.yahoo.co.jp/articles/e290264a98e165580409a606b7732d7891c10ca5


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2020年08月12日

マスコミはずっとずっとクソだったhttps://news.yahoo.co.jp/articles/ab245d85eb9debc9acc1bdaa561b801e6d50b262

Yahoo:「【特別手記】「御巣鷹山」48時間の地獄絵図

1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。

自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。

その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。

その間、ヘリコプターからのリぺリング降下(ロープを使った垂直降下)による迅速な現場進出の必要性から、第1空挺団の出番となり、第12師団に配属しての災害派遣が翌早朝までに決していたのでした。

朝5時前には「命令受領ラッパ」が鳴り響き、営内に残っていた我々は即座に出動準備を整えて集合、V-107という大型ヘリ6機に乗り込み、7時54分、習志野を出発しました。準備といっても、装備を詰めた背のうは常に用意してあるので、出発前に地図と乾パンを支給されたくらいです。

6機のヘリのうち、1番機には第1空挺団派遣部隊指揮官である普通科群長以下の「救助部隊本部」の要員が、2番機から6番機にはそれぞれ隊員12名が乗り込みました。12名のうち1名は衛生隊員なので、私は3番機の小隊長として、自分の部下から10名を選抜しました。

小隊長である私のサポート役として、普段の演習でも常に一緒に行動していた作間2曹は、もちろん真っ先に指名しました。ヘリのパイロットたちもいつになくピリピリしていて、張り詰めた空気が漂っていました。

現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。まず1〜3番機の隊員が現場に降り、4〜6番機は麓の相馬原(そうまがはら)でいったん待機することになりました。空挺部隊には指揮官が“先頭降下”するという伝統があって、3番機では私がリーダーですから、最初にロープを伝って山の斜面に降り立ちました。私の次に降りたのは作間2曹です。

空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました。ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触があったんです。「なんだろう?」と思って足下を見ると、そこにあったのは人の“耳”でした。ご遺体を踏んでしまったことに気づき、すぐに“申し訳ございません”と心の中で謝りました。

降下後、普通科群長が命令を下達しました。我々の任務は、「生存者の救出」と「地形の偵察」です。2番機の小隊と共に生存者を捜索しながら尾根を登っていきました。私と2番機の小隊長を中心に、左右各人5〜10メートルほどの間隔で横一列に広がって斜面を登るのです。

息を飲む光景でした。航空機燃料が燃える独特の臭いがして、岩肌には人の内臓がベタッと張り付いている。見上げると、髪の毛が付いた頭皮が木からぶら下がっていました。傾斜がきつく、木の幹に掴まりながら登るのですが、触った瞬間に滑る感じがする。見ると木全体が血と肉片で真っ赤に染まっていました。私の後ろを歩いていて、やはりその“赤い木”を触ってしまった隊員が「ギャーッ」と大声で叫びました。

その時に私が感じたのは、「職業選択を間違えた」ということです。地獄絵図のような現場を目の当たりにして、私は「戦場の光景というのは、多分こういうものだろうな」と考えました。とても耐えられない、おれはこの仕事に向いていない、そう思いました。部下の前では表情にこそ出さないものの、それが本音でした。御巣鷹は私にとって初めての災害派遣だったのです。翌朝には慣れて、そういう気持ちは払拭されたのですが。

同時に、隊員の誰もが「こんな悲惨な状況で、生存者なんているわけがない」と感じていました。斜面を上がれば上がるほど、まともな形を残したご遺体も少なくなっていきます。あるのは手や足だけの部分遺体や、肉片、皮膚ばかり。あまりに凄惨な場所でした。こんな事故で、到底人間が生きていられるはずがない、と。

生存者を見つけられないまま尾根を登り、今度は別の方角に向かって下りながら捜索を続けようとした時です。無線から驚くべき情報が流れてきました。「生存者発見!」。耳を疑いました。「えっ?」と他の隊員と顔を見合わせました。

無線を送ってきたのは、4〜6番機から降りたグループでした。当初、相馬原で待機を命じられた3機は、我々のおよそ1時間後、9時45分に現場へ来て降下を開始しました。我々が降下地点から尾根を登って行ったのに対し、彼らは群長の命令で逆方向に下りながら捜索をしていたのです。そして、「スゲノ沢」と呼ばれるあたりで、麓から徒歩で登ってきた地元の消防団や松本駐屯地の第13連隊と合流し、そこで4名の生存者を発見したのです。

尾根の上にいた我々には、「降下地点に戻れ」と指示がありました。急峻な山の中で、その辺りがかろうじて平坦になっていたからでしょう。その付近から生存者をヘリに吊り上げることになりました。降下地点に戻り暫くすると、下から生存者が運び上げられてきました。たしか事故機のトイレのドア等を担架がわりにして運んできたと思います。

生存者4名は、あの悲惨な現場で一晩発見されずにいたので、当然かなり衰弱していました。そのうちの一人の少女、後で川上慶子さんと知ったのですが、彼女に「頑張れ!」と声を掛けると「うんうん」と頷くようなリアクションがありました。それを見て「大丈夫だ、助かる」と思いました。

でもそこからが長かった。救出用のヘリがなかなか来ないのです。こちらからは何度も要請しているのに一向に来ない。報道陣のヘリも含め、多くの航空機が上空に飛来していたため、二次災害の危険もありました。

結局、生存者が吊り上げ地点に搬送されてから、ヘリへの収容が完了するまで1時間近くかかりました。ヘリを待つ間、誰もがイライラしていて、そのうち、現場に到着された赤十字の女性の看護師さんから、ものすごい剣幕で怒鳴られたんです。私の顔をキッとにらんで、「もしこの人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね!」と。それはよく覚えています。「おれだってどうしようもないんだ」という気持ちでしたね。

ヘリを待ちながら、現場ではホイスト(ヘリからのワイヤによる吊り上げ)準備をしていました。赤十字の医師から、「隊員が直接抱えて上げたほうがいい」と言われて、自衛隊の茶色い毛布で生存者の体を包みました。最初に吊り上げたのは、吉崎美紀子さん(当時8歳)です。毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。

次が当時14歳だった川上慶子さん。彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。「何をするんだ!」と怒りましたが、もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。

3人目の吉崎博子さん(美紀子さんの母、当時34歳)と4人目の落合由美さん(当時26歳)は、担架に乗せた状態で吊り上げました。というのも、抱えて吊り上げるには脱力した大人は相当重たく、途中で落下する恐れもあり、危険だと判断したのです。

ここで我々はミスを犯してしまいました。3人目の吉崎さんのお母さんを乗せた担架が、ヘリから吹き下ろされる風を受けて、吊り上げた途端にグルグルと回転してしまったのです。すごいスピードで回転して、いまにも担架から体がずり落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。私は真下で両手を広げて、「万が一落ちてしまったら、絶対に受け止めなくては」と覚悟していました。

結果的には無事に収容できたのですが、これは我々の本当に初歩的なミスです。本来、担架の把手にロープを付けて、担架が回転しないように地上の隊員がロープを保持すべきなのです。基本的な作業ですが、やはり異様な現場に平静でいられなかったのでしょうか、あの非常時に誰もそれに気づかないまま吊り上げてしまった。今でも思い出すたびに血の気が引きます。最後に落合さんを収容する際は、きちんと補助ロープを付けました。

生存者の救出を終えたのが、13日の13時29分。そこから次の任務が命じられました。ヘリポートの構築です。獣道すらない急峻な山に、人員や救助物資を迅速に送り込むにはヘリを使うしかない。我々は上空からロープで降下できますが、以後の作業にはヘリを着陸させることが必須でした。

普通科群長は私に、大型ヘリ(V-107)用を一つと中型ヘリ(HU-1H)用を一つ、あわせて二つのヘリポートを構築するよう命じました。我々は訓練・演習で簡易ヘリポートを作りますが、その際、なるべく広くて平坦な場所を探します。そこで私は、日航機の主翼が落ちていた辺りに目をつけました。その辺りは比較的広くて平らだったからです。ただ、航空機事故ですから、事故原因の究明のために現場検証も必要です。勝手に現場の状態を変えるわけにいかないので、現場を管轄する群馬県警の責任者を探しました。

周りにはたくさんの警察官がいましたが、長野県警だったり警視庁だったりで、なかなか群馬県警の責任者が見つからない。ようやく見つけて交渉したところ「ダメだ」の一点張り。仕方なく、現場検証を要しない下方の地点に決定し、周辺の木を切り倒して斜面を掘削し、削った岩石や土を下側に盛るやり方で、中型ヘリ用ヘリポートのみを作ることにしました。

我々がヘリポートを作っている間にも、続々とご遺体が運ばれてきます。やがて夜になり、13日の深夜にはヘリポートの大枠ができました。暗い中では細かい仕上げができないので、その日はその場で仮眠することにします。そして翌14日の朝3時頃から作業を再開し、7時頃にヘリポートが完成しました。


ただ、この仮眠がつらかった。翌朝からヘリで搬送するべく、ヘリポート付近にはご遺体が集められていました。その隣で横になって眠るのですが、真夏の暑さで傷んだご遺体は、死臭を発しているんです。何度も目を覚ましました。

14日は、完成したヘリポートを使って朝から何度もヘリが往来し、15時くらいまでに計121のご遺体を搬送しました。この数字に関しては苦い思い出があります。この日、上級部隊から連絡幹部が現場にやってきたのですが、ヘリポートの運用を指揮していた私を見るなり、「今日は何体運んだ?」と聞くのです。私は返答に窮しました。

ご遺体といっても、五体満足なものは少なくて、手だけ、足だけといった部分遺体も多い。それを現場では努めて早く収容すべく、個別に包装した部分遺体の何体かを一緒に毛布に包んで“1包み”として搬送していました。そういう状態で“121包み”搬送したのであって、「何体か」と聞かれてもわからないのです。

ところが連絡幹部は、即答できない私を見て、「それでも責任者か!」と叱責したのです。ロクに寝ていなかったせいもあるでしょうが、さすがに頭に来て、部下の一人に「おい、そこの毛布を開けろ!」と命じました。そして「あなたには、このご遺体が“何体”かわかるんですか!?」と聞き返すと、相手も黙ってヘリに乗って帰っていきました。

今思い出しても、いちばんつらかったのは「モミジ」です。ご遺体の搬送準備中、ビニール袋に入った何かが運ばれて来ました。赤くて小さくて、最初はモミジの葉のように見えました。でもそれは、血に染まった小さな子どもの掌だったのです。徐々にご遺体を見ることにも慣れていたのですが、あれは衝撃的でした。本当にかわいそうで、堪らない気持ちになりました。

14日の15時過ぎから天候が悪化し、ご遺体の搬送作業はそこで中断しました。雨がしとしと降る中、その夜も前日と同じようにご遺体の隣で仮眠し、翌15日の朝、我々空挺部隊は任務を終えてヘリで習志野に帰投しました。ですから、私が御巣鷹山にいたのは13日の朝から15日の朝まで、48時間くらいです。睡眠も食事も不十分なまま過酷な状況にいたので、今思えばかなりストレスが溜まっていたのでしょう。

警察と喧嘩もしました。自衛隊のヘリが運んでくるのは、ツルハシやスコップなどの工事用器材、ご遺体収容のための毛布だとか、任務に直結するものばかりです。ところが警察のヘリは、弁当やタバコ、寝袋やらをたくさん運んでくる。

ある時、広げたままの寝袋が、ヘリの風圧で巻き上げられそうになり、近くにいた私の部下が慌てて飛び乗って押さえた。すると警察官が彼に向かって「おい自衛隊さん、寝袋に穴開けないでくれよな」と言い放ったのです。部下は休憩中だったのでタバコをくわえていました。警察官には、彼がふざけて寝袋に寝っ転がったように見えたのでしょう。私はその警察官に「馬鹿野郎! 寝袋が巻き上げられてローターに接触したら、ヘリが墜落するだろうが!」と怒鳴りつけました。

マスコミにも腹が立ちました。川上さんの毛布を剥ぎ取ったこともそうですが、遺体の写真ばかり撮る輩もいて、思わず「いい加減にしろ!」と叱ったこともあります。とはいえ、14日の昼頃、ある新聞記者が持ってきた朝刊を見た時は、やっぱり嬉しかった。そこには、川上さんを抱えてヘリに向かう作間2曹の写真が1面に載っていたのです。

今でこそ災害時の自衛隊の活動はメディアでも取り上げられますが、当時の自衛隊はある意味、日陰者でした。マスコミが現場にいるのは認識していましたが、我々の活動が大々的に被写体になるなんて私自身は想像もしておらず、とにかく驚きました。それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。

ただ5年前、事故から30年ということであるテレビ局の取材を受けた際、ディレクターから開口一番、「なぜ自衛隊の到着が遅れたんですか」と聞かれたのは心外でした。そもそも当時の災害派遣は、要請を受けて初めて出動できる仕組みでした。勝手に現場に向かうことはできません。

また、「夜のうちに現場へ行けなかったのか」などという人もいます。我々空挺部隊・普通科部隊は深夜の現場であっても救助活動することは可能ですが、輸送に任じた当時の自衛隊のヘリには暗視装置が装備されておらず、暗夜における未知の山地・森林の飛行は危険極まりないものでした。一方で12師団隷下部隊は、夜を徹してまさに暗中模索で現場に向かって山を踏破していたのです。自衛隊はできる限りのことをやったと私は今も確信しています。

御巣鷹での経験は、私のその後の自衛隊人生にも影響を与えました。一番大きいのは、「ストレス障害」について身をもって学んだことです。実は習志野に戻った後、私は不眠症に悩まされました。

昼間仕事をしている時はなんともないのですが、夜アパートに帰ると、暗い場所があるのが苦痛に感じられるのです。寝室はもちろん、トイレや風呂の電気もつけっぱなしにしておかないと落ち着かない。そして就寝中にふと窓に目をやると、ベランダにたくさんの人が並んで私を見ているのです。ほぼ全身の人もいれば、上半身のみの人、炭化した人など、全員、御巣鷹の現場で我々が後送に関わったご遺体のお姿そのものでした。

もちろん幻覚だと自分自身納得しています。彼らが現れることに恐怖心を覚える反面、それほど不快には感じなかった。ただただ、「なんで現れるんだ」という気持ちでした。結局、ウイスキーをガブ飲みしないと眠れない状態が1カ月ほど続きました。

この間は肉類も全く食べられませんでした。でも、当時の私はそれを仲間の誰にも言えなかった。あの頃の自衛隊には、まだストレス障害という概念もなかった。空挺団は、男の中の男が集まった猛者ぞろいの精鋭部隊です。年上の部下を統率する若手幹部として、弱みは見せたくなかった。上司に相談しても「頭がおかしくなったのか? 病院に行ってこい」と言われるだけだと思うと、誰にも相談できなかった。

ただ、御巣鷹に出動した者の中で、外泊を申請して出掛けたはずの営内居住隊員が、“不気味に感じる”と言って駐屯地に帰ってきて皆と一緒に寝ているという話を聞いた時は、妙に安心しました。私はその隊員に向かって「情けない奴だ」と笑ってやったのですが、内心、「おれだけじゃない、みんな同じなんだ」とホッとしたことを覚えています。

それからずっと後の、私が1等陸佐として連隊長を拝命した2003年、自衛隊がイラクに派遣されました。私も派遣に備えて、部隊指揮官としてストレス障害に関する教育を受け(結局私自身はイラクには行かなかったのですが)、更にその後の勤務でも、指揮官・幕僚にとって必須の知識として学びました。

そこで、当時26歳の私が御巣鷹山から帰って体験したことが、まさに「急性ストレス障害(ASD)」の典型例だったと気付いた。それ以来、ようやく自分の経験を他人に話せるようになりました。ちなみに、ASDの状態が1カ月を超えて続く場合は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」とされます。

戦場や大規模災害の被災地などの過酷な状況下では、どんなに強い人間でもストレス障害になり得る。それを私は、知らないうちに自ら経験していたのです。たった48時間の任務で、私の心は壊れかけてしまった。そしてそれをひたすら隠し、一人で悶々と悩んでいた。

現在の自衛隊では、海外派遣や災害派遣のたびにメンタルヘルスに関するケアを体系的に行っています。任務終了後の隊員を一人でストレス障害に立ち向かわせるような状態に放置することはありませんし、仮にあったとすればその指揮官は失格です。そういった意味で、この貴重な体験は私自身にとって、指揮官として大勢の部下を率いて任務を完遂する上で大きな糧となりました。

あの悲しい事故から35年を迎える今、改めて犠牲者のご冥福と、生存者やご遺族の方々の人生に幸多からんことを、心からお祈り申し上げます。

岡部俊哉(おかべとしや) 元陸上幕僚長 昭和34年、福岡県生まれ。元陸上自衛官(防大25期)。第6師団長、北部方面総監などを経て、2016年、第35代陸上幕僚長に就任。2017年8月に退官。

「週刊新潮」2020年8月13・20日号 掲載


35年経ってようやく書けたんでしょうかねえ?
こういう実録が出てきたことはありがたいこと
生々しい状況が伝わってきます

極限状況で働けば、心が壊れることとか、
こういう経験値が積み重なって、今の自衛隊の活躍があるのかもしれませんですね


なによりもマスコミがやっぱりクソな存在であることが、わかります
国はマスコミの活動について、ある程度は規制すべきじゃないでしょうか?
救助活動の邪魔にしかなってないようにしか見えません


https://news.yahoo.co.jp/articles/ab245d85eb9debc9acc1bdaa561b801e6d50b262


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維新と企業の関係?!https://news.yahoo.co.jp/articles/c4c17d556e0db70e82255d228cb81ddc160611f2

Yahoo:「吉村府知事インサイダー騒動 関連銘柄の株価上昇で風説の流布、株価操縦に当たる可能性も

大阪府の吉村洋文知事(45)が新型コロナウイルスの感染拡大防止策として殺菌消毒作用のある「ポビドンヨード」という成分を含むうがい薬の使用を呼び掛け、うがい薬が市場から消えた騒動の波紋が広がっている。医療団体などから猛反発が上がったほか、新たにタレントで演出家のテリー伊藤氏(70)が事前に情報をキャッチしていたことを明かし、吉村氏の“インサイダー疑惑”が報じられるまでの騒動に発展。吉村氏は疑惑をきっぱりと否定したが…。

吉村氏が「新型コロナの重症化を抑制する効果がある」として、ポビドンヨードを含むうがい薬の使用を呼び掛けたのは4日の記者会見。うがい薬が品薄状態になり、関連企業の株価が急騰するなどの騒ぎになったのは周知の通りだ。

会見を受け、市場のみならず、医療機関でも必要な医薬品が不足する事態に陥ったことから、大阪府保険医協会や同歯科保険医協会が、医療現場を混乱させたと猛反発。「知事の発言は住民の命と健康に関わることを肝に銘じて猛省を」などの声明文を発表した。

吉村氏は翌5日「誤解がある。予防薬でも治療薬でもない」と繰り返したが、後の祭りだった。

一連の騒動を取り上げたのが9日放送のTBS系「サンデー・ジャポン」だ。同番組でテリー氏は、4日の会見を生中継した日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」に出演していたことを明かし「この話を(会見の)1時間半くらい前に知ったんです。これを“今、買っとけばいいな。薬メーカーの株も買えるな”って一瞬、頭に入ったんですけど、やめたんです。インサイダー取引みたいな感じで、やらなかった」と暴露した。

テリー氏の発言を受け、ネット上では「情報が漏洩している」「インサイダー取引ができた人もいる」と臆測が飛び交った。会見は株式市場が開いている時間に開催されていた。

吉村氏は11日に府庁で記者団の取材に応じ「インサイダー取引というのは犯罪。ネット上で匿名とはいえ、僕にインサイダー疑惑があるとか軽々には言わない方がいいだろうと思います。維新が嫌いなのは分かりますが、インサイダーじゃないかというのは『あなたは犯罪者でしょ?』と言うのに等しいですから、ネット上での言い方は注意した方がいい」とまずは警告した。

続けて「インサイダーに関わるようなことは僕は一切やっていないし、そんな事実はあり得ない」と疑惑を否定した。テリー氏の発言の真意については夜になって「テリー伊藤さん自身がTVでの発言を撤回されています」とツイッターでつぶやいた。

自身の疑惑について否定した吉村氏だが、府政関係者はこう話す。

「問題なのは一部の者しか知らないはずの情報が漏洩していること。府庁内では職員に情報管理をうるさく言う一方で、自らが民放と組んで、あおるような生中継をしてるから、あまりにも露骨で開いた口がふさがらない。当の『ミヤネ屋』に知事は会見の翌々日に出演し、司会者やコメンテーターにヨイショされてましたけど、振り回された側の府民や医療関係者は、どんな気持ちで見ていたのでしょうか」

吉村氏自身がインサイダー取引などで利益を上げていなくても、問題は残る。株式市場関係者は「関連銘柄の株価は会見後に上がっており、医学的に効果がないと今後判明した場合、効果があるように記者会見で呼び掛けたこと自体、市場を混乱させた風説の流布、株価操縦など法に触れる可能性もある」という。

吉村氏は研究成果の発表までの経緯について「当日の朝10時に大阪府のホームページに、大阪府病院機構と僕と松井市長で共同発表すると出したが、研究の中身については一切触れていない。会見で初めて発表した。製薬会社4社と国、研究している病院機構と大阪府の一部職員しか知らない話」と説明した。

だが、前出の府政関係者は「『ミヤネ屋』は『コロナ治療効果が期待できる薬発表へ』とテロップを打ち、事前に知っていた以上、維新関係者から支援者まで知っててもおかしくはないとも推認できる。知事の周りが“シロ”だという説明にはなっていません」と話す。

会見での発表を「適切だった」としている吉村氏だが、コロナ対策で上がった自身の“株”は、相次ぐ批判で暴落の兆しが見え始めたかもしれない。


インサイダーかどうかはわからないけど
行政の長として、あまりにも軽々しい発言

長として、その発言内容に対して無責任すぎやしないか?また影響力を踏まえて発言すべきだったのでは無いかとか

まぁ、メディアに忖度されている党の人だけに、影響力をわかった上でやってるんでしょうけどね


なんにしたって、いずれ自民党が憲法改正の時に維新と手を組んでやるってのは反対だなぁ
こんな阿呆どもと手を組むなんてダメだと思う
第一まともな保守政党じゃ無いし、日本のことを真剣に考えてないもの


https://news.yahoo.co.jp/articles/c4c17d556e0db70e82255d228cb81ddc160611f2


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posted by ! at 20:01| 東京 ☁| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月07日

スピードを出す奴が悪いhttps://news.yahoo.co.jp/articles/da74729eca8794cb282b2b867929509b90af0d43

Yahoo:「“ドリキン”土屋圭市氏が首都高事故の動画を分析「酷い…」

元レーシングドライバーで“ドリキン”の異名を持つ土屋圭市氏が7日未明、自身のツイッターで、2日に川崎市の首都高速道路で起きた事故について見解を示した。この事故では、50歳の男性が運転するポルシェが、前を走っていた乗用車に猛スピードで突っ込み、乗用車に乗っていた夫婦が死亡したもの。ポルシェの運転手は過失運転致死の容疑で送検されている。

ネット上には、乗用車の後ろを走っていたトラックのドライブレコーダーの動画が出回っている。最初は乗用車と同じ車線にいたトラックが、追い抜こうとしてか、右に車線を変更。その空いたスペースに突然ポルシェが走り込み、ほぼ減速することなく乗用車に追突している。

ユーザーから送られてきた動画を見たとみられる土屋氏は「これは…酷いと思います。車速に対して距離を見誤っているか!?前をよく見ていなかったとしか思えません。」と分析した。また、別のユーザーから、トラックが車線変更したことが事故の一因ではないかと質問され「トラックの車線変更は日常茶飯事ですので、トラックを責めるのは如何なものかと…。」と責任は求めなかった。

車を愛し、スピードを追求するレーサーを仕事としていただけに、死者も出てしまった事故の動画にはひときわ胸を痛めていた。



ポルシェを運転していた奴は責任とって、吊されれば良いと思うよ
巻き添えで殺された方は、本当にお気の毒様です。ご冥福をお祈りいたします
だからこそ吊されるべきでしょう


何を言おうと、映像の通りで、猛スピードを出していたことがすべての原因
制限速度を守って走れない奴に車を運転する資格は無いんじゃ無い?

だから警察はもっと厳密に取り締まりを行うべきじゃ無いのかな?

煽り運転の原因だってスピード違反だろうと思う
スピード違反をする奴にろくな奴はいない

人が理性を持って運転できないなら、Aiとかで自動制御するしかないんじゃないかなぁ
感情的になってアクセルを踏むバカを一掃できないならコンピュータ任せにするしか無いでしょう


https://news.yahoo.co.jp/articles/da74729eca8794cb282b2b867929509b90af0d43


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posted by ! at 20:40| 東京 ☀| Comment(0) | 事故など交通問題関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月04日

しばらくガマンhttps://news.yahoo.co.jp/articles/b776d8d873559884463d4c2ae0078d5e5659f24b

Yahoo:「都知事「他県への不要不急な移動は遠慮を」

東京都の小池百合子知事は4日、都内で新型コロナウイルスの感染者が新たに131人報告されたことを受け「他県への不要不急な移動は遠慮してほしい」と都民に対して呼び掛けた。都内で記者団の取材に応じた。


個人個人が自由に行動するのはいいんだけど
そのために迷惑を受ける人がいることを考えたら、少しはガマンできないものなんですかね?

それを同調圧力とかなんとか言って、自粛しないのは全然人の命を考えていない、軽視しているとしか感じられないんですけどね

責任の無い自由、無法地帯よな
本当にこまったもんだ


https://news.yahoo.co.jp/articles/b776d8d873559884463d4c2ae0078d5e5659f24b


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