法隆寺が670年に火災にあったという記録(日本書紀)を裏付ける火災の痕と見られる焼け焦げた壁画の破片約百点が発見されたとのこと
記事よりコピペ
七世紀後半に再建されたとされる法隆寺金堂の壁画(一九四九年焼失)や上淀廃寺(鳥取県淀江町)、高松塚、キトラ両古墳(奈良県明日香村)の壁画など、これまで国内最古級とされてきた壁画を半世紀以上さかのぼり、町教委は「飛鳥時代に彩色壁画はないとの常識を覆し、美術史、建築史に大きな影響を与える発見」としている。
聖徳太子(五七四−六二二年)が六〇七年に創建した当時の法隆寺は若草伽藍(がらん)と呼ばれ、現在の法隆寺の南側に金堂や塔が建っていたことが発掘調査で分かっている。町教委は若草伽藍跡の西側をことし九月から調査。寺域のはずれに流れる川の跡から壁画の破片を見つけた。町教委は焼け落ちた壁を川へ捨てたと判断した。
破片は大きなもので縦四センチ、横五センチ程度。文様を確認した約三十点は、衣装やハスの花の一部とみられる図柄もあり、仏画だったと考えられるという。一部に下書きらしい細い線が刻まれており、キトラ古墳(七世紀末−八世紀初め)の極彩色壁画や、その後の法隆寺金堂壁画に共通する技法を使ったとみられる。奈良文化財研究所(奈良市)の分析で銅や鉄など鉱石成分を確認。緑や赤の顔料と判断した。エックス線分析によると焼けた温度は約千百度の高温で、顔料部分は七宝焼きのようになっていた。
コピペ以上
中日新聞:「
法隆寺で最古の彩色壁画片出土 日本書紀の「焼失」裏付け」より
posted by ! at 16:56| 東京 ☔
|
TrackBack(0)
|
考古学・歴史的なもの
|

|