2008年10月29日

貴重な文化財に人気のあるなしは

関係ないですよね

ヤフー記事:「高松塚古墳人気に翳り? 見学希望者減少

>11月2日から始まる高松塚古墳(奈良県明日香村)に描かれた「飛鳥美人」などの国宝壁画の一般公開で、見学希望の応募者数が5357人で、今年5〜6月の初公開時の約4割にとどまったことが29日、分かった。定員の4400人はかろうじて上回ったが、「高松塚フィーバーが下火になった」との見方や、「壁画が見えにくい」とされる公開方法が応募者の減少に影響したとの推測も。主催の文化庁は「やっと落ち着いた感じ」と冷静に受け止めている。

 壁画の一般公開は、同古墳近くの修復施設で行われ、専用通路からガラス越しに約15人ずつ10分間見学できる。9月19〜30日に行われた今回の見学者募集には、全国から3006通、5357人が応募し、抽せんで4418人が当選。競争率は1・21倍だった。


いくら何でも、人気の有無で貴重な遺産の保護の仕方を考えるなんていう間抜けなことはないとは思いますが
こういう記事の書き方はどうかと思いますね

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081029-00000612-san-soci
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2008年10月20日

貴重な建物を残せないの?

ヤフー記事:「歌舞伎座が建替えへ、2010年で120年の歴史にひとまず幕

>1889年に創立されて以来、日本の伝統文化である歌舞伎を上演し続けてきた代表的な歌舞伎劇場の歌舞伎座が、再開発計画に伴い2010年4月の公演で、およそ120年にわたる歴史にひとまず幕を下ろすことが20日(月)わかった。新劇場の概要などについては09年1月中旬に発表される予定だ。

 今回の決定は、この日松竹が発表した、劇場とオフィス棟を併せ持つ複合建物を建設するという歌舞伎座の再開発計画に伴うもの。また、09年から1年4か月にわたって「さよなら公演」と銘打った舞台が上演される。


再開発という名前の文化破壊じゃないですかね?
立て直すのはともかくとして、今ある歌舞伎座を何らかの形で残すことは難しいんでしょうか?

歴史的に価値のあるものをあっさり破壊するというのは、良いことだとは思えませんし、むしろ悪だと考えます

どうも、日本という国というか風土は歴史的なものとか文化的なものには理解が少ないように感じてしまいます
そういう事に金を出せないのは、社会に余裕が無く文化が成熟してないからなのでしょうか?

欧米などは結構保存に熱心ですけども、それは石の文化と紙と木の文化の差異なのでしょうか?

まだ時間があるようなので、保存を検討して欲しいなと思います

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081020-00000019-oric-ent
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2008年10月14日

元寇があったことを隠す意図

”草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN”:「「元寇」を教えない対馬と九州の教育

>賭人の独り言から転送します。ご参照いただければ幸いです。

8月の対馬視察では意外な事実を知らされた。対馬の小中学校ではだいぶ前から、歴史の授業で『元寇』に於ける対馬侵略が教えられていない…と云うのである。

この話は複数の議員が現地の人と接触して確認している。ある対馬市民などは「元寇は福岡の話でしょ?」と軽く言ってのけた由。次回の対馬視察では、『蒙古襲来』に関する歴史授業の実情について調べてみる必要がある。

対馬だけではなく、福岡県太宰府市の「九州国立博物館」常設展示でも「蒙古襲来」に関する展示が極端に少ない。私も何度か見学したが、どうやら意図的に「蒙古襲来」を避けている節がある。


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特に酷いのが『蒙古襲来絵詞』複製展示の解説文。「蒙古襲来」とか「元・高麗の侵略」という言葉が全然無く、「対モンゴル戦争」(?)という珍妙な用語なのである。

これでは文永・弘安の役がまるで日本によるモンゴル侵略と勘違いするよう、児童・生徒を誘導しかねない表現ではないか。

この「九州国立博物館」はオープン以前の8年前、常設展示案が報道された時分から「九州と云う地域の特性を生かした内容にする」方針にも関わらず「蒙古襲来」展示が無く、問題視されていた。

つまり元(=中国)が日本を侵略した事実を隠したいという思惑があるのだろう。これは展示監修の歴史学者が親中派だった為か、中華人民共和国駐福岡総領事館の圧力があったのか、よく判らない。


これは事実なんでしょうか?
なんだか日本でも中国や朝鮮のように愚か者が増えているって感じですね
いくら歴史上の事実を隠してもいつか知ることになるわけですから、誤魔化すだけ無駄というものです

一部の偏った人々は、そういう無駄な行為をしてまで、中国朝鮮に肩入れしようとするのでしょうか?狂っていると言うほか言いようがありません

特定アジアによる文化侵略は相当根深いところまで入り込んできているのでしょうか?
少なくともこうやって告発する人がいる間は大丈夫かもしれませんが、早く過ちを正すようにしなくてはいけませんね
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2008年10月01日

それで、どうします?

ヤフー記事:「<高松塚壁画劣化>修理の樹脂でカビ 実験で裏付け

>文化庁の「高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会」が30日、開かれた。国側は、修理で使われたアクリル系樹脂がカビ発生の一因とみられることが、実験によって初めて裏付けられたことを明らかにした。

 76〜83年の修理記録とカビ発生の時期を整理したところ、壁画がはがれ落ちるのを止める目的で樹脂を注入した場所に、1〜2カ月後にカビが生えた。この樹脂は現在、同古墳の壁画修理には使われていないが、仏像修理などでは使用されている。微生物の栄養源になるものは含まれていないため、研究者の間では「カビは生えない」とされてきた。


当時としては、最高の技術を持って修復を行ったんでしょうけども、結果としてはカビが生えてしまったということなんですね

では、今後はどのように修復していくんでしょうか?

日本にとって、非常に貴重な遺産です
きちんと修復して欲しいものです

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081001-00000006-mai-soci
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2008年08月24日

火事対策はしていたかと思っていましたが

ヤフー記事:「醍醐寺の准胝堂全焼、落雷原因か 国宝被害なし

>24日午前零時半ごろ、京都市伏見区醍醐の醍醐山頂近くにある醍醐寺の准胝(じゅんてい)堂から出火、木造平屋約150平方メートルと東隣の休憩所約50平方メートルが全焼した。准胝堂に安置されていた本尊・准胝観世音菩薩(ぼさつ)も燃えた。准胝堂は西国33カ所観音霊場の第11番札所で知られる。准胝堂近くに当直の僧侶が2人いたが、けがはなかった。当時、雷注意報が発令されており、山科署と市消防局は落雷が原因の可能性が高いとみて調べている。

こういう文化財に対しては、火災対策はしっかりとしていると聞いておりましたが、これはどうしたことでしょうか?

国宝級のお宝は無事だったとはいえ、歴史的価値のある建物が、こういう形で焼失してしまうことは非常に残念なことです

文化財のための各種災害対策については、しっかりと施しておいて欲しいですね
何かあってからでは遅すぎますので

それにしても、このお寺には避雷針は無かったんでしょうか?


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080824-00000000-kyt-l26
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2008年07月24日

落書き反省文

ヤフー記事:「「今後一切落書きしません」 近江八幡 江戸期の反省文発見

>西国三十三所の第31番、古刹(こさつ)・長命寺(滋賀県近江八幡市)で、江戸後期の寺に落書きをした巡礼者が記した反省文が見つかり、23日、県教委が新たに県指定文化財に指定した。国内外の名所や文化財に日本人が落書きをして社会問題化しているが、江戸期でも観光寺院が同じ悩みを抱え、対策に腐心していた様子がうかがえる。

 見つかったのは、「楽書誤証文(らくがきあやまりしょうもん)」で、1799(寛政11)−1802(享和2)年の6通で、いずれも縦23・7−28・7センチ、横32・9−39・2センチ。
 県教委によると、文書には、巡礼者が「御法度」の落書きを書き始め、見つけた僧侶にしかられ、「恐れ入り」「今後道中では一切落書きしません」と同行者と連名で誓ったことが署名、拇(ぼ)印付きで記される。

 6通は文面はほぼ同じで、「落書きに困った寺側がひな型を作っていた」(県教委)とみられる。

 書き手の住所は、長崎や埼玉、三重など多岐にわたる。当時の民衆には旅行がブームで、行動範囲の広さもうかがえる。

 県教委は「『楽書』という字に、落書きに対する当時の庶民の気分が分かる。連帯責任で証文を書かせるのは一見厳しいが、証拠能力はなく、モラル回復の思いが強かったのではないか。不心得者に罰を科し、良心に訴える寺の大人の知恵が見える」としている。
 「楽書誤証文」は、長命寺文書(5475点)として一括指定された。


ありきたりな感想ですが
昔から変わらないんですねぇ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080724-00000001-kyt-l25
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2008年05月07日

仏像が無事で良かった

ヤフー記事:「京都・長楽寺の収蔵庫の一部焼く、重文の仏像など無事

>7日午後2時30分ごろ、京都市東山区円山町、時宗「長楽寺」(牧野素山住職)の収蔵庫から出火、木造平屋の収蔵庫の屋根部分約80平方メートルを焼いた。

 収蔵庫には、「一遍上人立像」など、国指定重要文化財の仏像7体や古文書が納められていたが、消防隊員らが運び出して無事。搬出完了の約1分後に天井が焼け落ちた。収蔵庫は春季特別展のため公開中だったが、客はいなかった。

 東山署の発表や牧野住職の説明によると、牧野住職は同日午前11時ごろから、収蔵庫の北側の焼却炉で落ち葉などを燃やしていた。煙突が詰まるため、焼却炉のふたを開けたまま燃やしており、同署は飛び火した可能性があるとみている。京都市内は当時、乾燥注意報が出ていた。

 長楽寺は平安時代初期に最澄が天台宗寺院として創建、室町時代に時宗に改宗したとされる。「平家物語」にも登場する。


収蔵庫の一部が焼けてしまったようですが、貴重な仏像が無事で本当に良かったですね
それを運び出した、消防士さんたちに感謝しましょう

どうやら燃やしていた落ち葉が飛び火したというのが原因のようですが、貴重な仏像を所有するお寺の方としては少々油断しすぎでした
気をつけていただきたいと思います

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080507-00000019-yom-soci
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2008年02月15日

まずは文化財保護が優先

ヤフー記事:「碓氷峠・めがね橋に落書き絶えず…世界遺産登録「心配」

>近代化遺産として、初めて国の重要文化財に指定された「碓氷(うすい)第三橋梁(きょうりょう)」(通称めがね橋、群馬県安中市)の橋脚部分に落書きが刻まれ続けている。
 くぎやナイフで傷つけられた明治時代のレンガは二度と元には戻らない。めがね橋は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定リストに載っているが、地元は「管理が不十分とみなされ、登録に悪影響が出ないか心配だ」と頭を痛めている。

 「アホ」「LOVE」「2006・8」「群馬県」……。めがね橋の橋脚の壁面には、縦約2メートル、横約5メートルの範囲に、フルネームとみられる氏名や、1文字の大きさが30センチ近くにもなる多数の彫り込みがあった。鋭利な刃物などが使われたとみられ、深さ2〜5ミリほどレンガが削られている。脇には「落書きやめて! 文化財が泣いています」と書かれた看板が立つ。


どうにもこうにも、こういうイタズラ書きが多いのは各地の文化財を見ていればわかること
それだけモラル心公共心が無いことは嘆かわしいことですが、すぐにでもそういう情けない心が何とかなるならともかく、どうにもならない現状なので、即座に立ち入り禁止にすることなどの対策をとるべきではないでしょうか?景観がどうのこうのではなく、貴重な文化財と見た目どちらが大事なのかということです

ただでさえ、ひどい状態なのに、保護対策をとらないのは怠慢に等しいと思います。どうにもならなくなってからでは遅いのです

モラルに訴えたいと言いますが、あるなら看板を見なくてもイタズラ書きなんてしませんよ?

まずは、効果的な対策を施す、これ重要です

それから、
学習指導要領が変わる中で道徳などの授業が行われるとかなので、その中でこういう公共心モラルをきちんと教えるようにしてもらう
何年かかるかわかりませんが、多くの人にモラルを身につけてもらうしかないでしょうね
特に妙な自己中心主義、自分さえよければといった感覚、これは許されることではないということを知らしめて欲しいですね
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2007年04月17日

昔の人はやっぱりえらかった?

NHKニュース:「亀山城跡 石垣損壊は修復部分

>15日の地震で亀山市では、亀山城跡の石垣が幅2メートル、高さ6メートルにわたって崩れました。亀山市教育委員会の担当者と専門の業者あわせて4人が17日、現場を訪れ、原因を調査しました。この石垣は、およそ400年前の江戸時代に加工していない自然の石を積んで築かれたものですが、調査の結果、石垣の崩れた部分は、昭和47年に修復した部分だったことがわかりました。これに対し、400年前に石が積まれたままの場所はまったく壊れていませんでした。調査の担当者によりますと、修復の際に、江戸時代に築かれたときと比べて小さな石が使われたため、重さが足りず、土台の盛り土に石がしっかりと食い込んでいなかったことが原因とみられるということです。亀山市教育委員会まちなみ・文化財室の嶋村明彦室長は「貴重な文化財なので、昔の石垣の積み方を踏まえて、工事方法を検討し復元していきたい」と話しています。

先日の三重周辺での地震で城跡の石垣が崩れたというニュースを聞いたのですが、その続報がこれでした

崩れたのは昭和になって修復したところ
オリジナル、つまり江戸時代に作られたところは何ともなかったというのが凄いですね

ただ、昭和の修復はある種の手抜きだったということなのかもしれません
きちんと調査して、江戸時代の時のように修復しておけば崩れなかったのかもしれませんね
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2006年05月11日

高松塚はどうなるんだろう?

朝日新聞:「高松塚古墳の壁画の傷、新たに5カ所 修復作業中

>奈良県明日香村の特別史跡・高松塚古墳で、修復の作業中に国宝の壁画5カ所に傷をつけていたことが文化庁の内部調査で明らかになった。絵のない部分の下地に傷がついた。電気スタンドを接触させて西壁の男子像の中央部がはがれ落ちていたことが4月に明るみに出たが、ほかにも同様の不手際が発表されずにいた。

次世代へ残すべき貴重な財産が、こんな事になってしまって、この先どうなるんでしょう?

>マニュアルでは石室内での作業で防護服の着用が定められている。この時の作業は石室外だったが、石室のふたは開いた状態だったといい、文化庁は「意識が低かったと反省している」と話している。

 今年4月に、これとは別の工事業者が、防護服を着用せずに作業したことが判明。国宝の壁画にカビが発生した原因との指摘もでている。


現場でこんな事をしているのでは、どうにもならないですね
なんとか修復をして、ちゃんとした形で残せるようにして欲しいものです
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2006年04月14日

文化庁はいったい何をしているのか?

読売新聞:「高松塚、滅菌防護服着ずに作業…直後に大量のカビ

>奈良県明日香村の高松塚古墳(8世紀初め)で、文化庁が2001年2月、墳丘内の石室入り口の崩落防止工事を行った際、工事関係者が、滅菌した防護服を着用せずに作業していたことがわかった。

 直後に、石室の外側でカビが大量発生した。

 同庁が設けた同古墳石室内の保存修理マニュアルによると、古墳内の定期点検や壁画保存などの際には、カメラや室内灯など搬入機材をアルコールで滅菌し、作業者は防護服を着るように定めていた。



読売新聞:「高松塚壁画、職員が損傷…文化庁公表せず

>奈良県明日香村の国特別史跡、高松塚古墳(8世紀初め)で、文化庁の職員らがカビ処理の作業中に国宝の極彩色壁画を誤って損傷しながら、そのことを公表していなかったことが12日、明らかになった。

 文化庁は「公表すべきだったが、隠匿などの悪意はなかった」と弁明しているが、文化庁の度重なるミスと情報公開に消極的な姿勢に、識者らからは批判が高まっている。

 文化庁によると、事故があったのは、2002年1月28日。同庁と東京文化財研究所の職員計7人が交代で石室内のカビの除去作業をしていたところ、床に据えてあった室内灯が西壁の壁画に接触。男子群像の胸部が1センチ大の半月状に、はく離した。また、同じ日に空気清浄機も転倒し、男子群像下の絵の描かれていない漆喰(しっくい)壁に長さ約8センチの傷をつけた。

 これらの事故について、同庁は把握していたが、公表せずに補修を済ました。



貴重な財産に対して、なんとずさんなことをしているのやら
無くしたら二度と戻らない貴重なものだということを再度念頭において作業して欲しいものです
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2006年02月13日

見てみたい

でも、高い

Flash24:「「伊能大図総覧」を発刊へ 実測の“足跡”もくっきり


>江戸時代の測量家、伊能忠敬(1745−1818)が作成した日本地図「伊能大図」214枚すべてを初めて掲載する「伊能大図総覧」が12月に刊行されることになり、監修する渡辺一郎・伊能忠敬研究会名誉代表が13日、試し刷りを公表した。
 大図は、列島の地形を縮尺3万6000分の1で描き1枚が1畳の大きさ。総覧は約3分の1のB2版に縮小するが、約200年前の海岸線や集落、城や寺社などの記述のほか、天文観測した地点を示す赤い星印もくっきり。実測の跡を示す赤い線は時折脇道にそれ、寺などに“寄り道”した様子もうかがえる。


是非見てみたい
他の記事では、一冊?36万とかいうことも書かれていて、個人的には購入は難しいそう
図書館とかに入ったら見てみたいものです
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2006年01月18日

キトラはもうダメ?

読売新聞:「キトラ壁画「寅」、はぎ取りを一時中止…破損の恐れ

>奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の保存事業で、文化庁は東壁の獣頭人身十二支像「寅(とら)」(縦約17センチ、横約7センチ)のはぎ取り作業を一時中止したと、17日、発表した。

 漆喰(しっくい)が壁に密着し、壁画が破損する恐れがあるため。同庁は専用の工具を新たに開発、夏までには作業を再開したいとしている。


ということなんですけど、大丈夫でしょうかねぇ
貴重な遺産だけに、修復不可能な破損だけは止めて欲しいです
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2006年01月06日

重文にミカンを

ぶつけた間抜け野郎がいるらしい

ヤフー記事:「重文の閻魔像にミカン=文化財保護法違反で捜査−京都府警

>5日午後3時20分ごろ、京都府大山崎町にある宝積寺の閻魔(えんま)堂で、重要文化財の「閻魔王座像」など5体の仏像の周囲につぶれたミカンが落ち、仏像に果汁のようなものが付着しているのを、僧侶の男性(28)が見つけた。損傷はないが、漆が変色する恐れがあるといい、京都府警向日町署は文化財保護法違反容疑で捜査している。

最近は罰当たりな輩が増えているなぁと感じてます
お寺や神社から金品を盗むような恥知らずなニュースをちょくちょく聞きます
そこまで品位ってものが無くなっているんでしょうか?
posted by ! at 23:58| 東京 ☁ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月05日

産経新聞:「蹴鞠始で優雅に迎春 京都の下鴨神社

>新春恒例の蹴鞠始(けまりはじめ)が4日、京都市左京区の下鴨神社であり、烏帽子(えぼし)と色鮮やかな装束をまとった鞠人(まりびと)が、王朝時代の優雅な遊びを披露し、迎春の気分を盛り上げた。

 一辺約15メートルの正方形の四隅に青竹を立てた鞠場(まりば)を設置。8人が輪になって中央に向かい、鞠の神様の名にちなんで「あり」「やあ」「おう」と声を掛け合いながら、真っすぐに伸ばした右足の甲で鞠を4メートル近くの高さまでけり上げ続けた。


雅やかです
posted by ! at 23:05| 東京 ☀ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月02日

支倉常長のお燗の道具

河北新報:「ローマの冬燗酒つけて人心地 支倉常長の携行品スケッチ見つかる

>伊達政宗の命を受け、ローマを訪問した支倉常長が使ったお燗(かん)の道具を、当地のワイン専門家がスケッチした絵図が、東京都内の古書店で見つかった。スペインとの交易を求めローマ法王に取りなしを依頼した時期、底冷えのローマで、故国をしのびながら燗酒を飲み、吉報を待つ慶長遣欧使節一行の姿を彷彿(ほうふつ)させる。

 絵図を見つけたのは、宮城県石巻市出身で常長研究に取り組む高橋由貴彦さん(74)=写真家、東京都在住=。神田の古書店・一誠堂が以前、欧州から入手した資料の中に含まれていた。「健康的飲み物に関する論文とその製造」の題名で、著者はフランチェスコ・スカッキなる人物、ワインの専門家という。ラテン語で書かれ、1622年に出版された。

 常長に関する記録は3ページ分。「教皇パウロ五世在位中の1615年、私が直接に奥州王の代表者(常長)から聞いた。実際にその道具を手に取ってみた」とある。

 お燗の道具は挿絵の形で描かれ、部位の説明書きがある。火を入れてお湯を沸かし、酒を入れた器の周りを巡らして温めるやり方だ。

 以下、文面を要約すればこんな内容だ。
 「この国には2種類の飲み物がある。一つは米からつくられたもので、『サケ(酒)』と呼んでいる。夏は冷水で冷やして飲む。日本は、冷泉やわき水が十分あるからだ。冬は、ある人は冷たいままで、ある人は火にかけて温めるための道具を使って、温めて飲む。冬期間の滞在であり、彼らはデリケートなので冷たい飲み物は危険、温める道具が必要だったのだろう。もう一つは『チャ(茶)』と呼び、植物の葉の粉末を湯に入れ、調合して飲んでいた」

 宮城県松島町の瑞巌寺には、常長の携行したのと似たお燗の道具が所蔵されている。江戸時代後期、藩主が亡くなり、身の回り品として瑞巌寺に奉納された。金属のスズでできており、藩主が花見や狩りに出る際、他の食材と一緒に箱に入れて携行した。

 燗をつける方法は、江戸時代の初期と後期という年代差はあるが、「ローマの絵図に示されたものと、原理は同じ」と瑞巌寺宝物館の堀野宗俊学芸課長。仙台市博物館の高橋あけみ学芸員も「当時のイタリア人が、現物を見ないでは書けないと思う。お燗の道具は日本人のものでしょう」と語る。

 常長がローマ入りしたのは1615年10月。11月3日、法王に謁見(えっけん)、政宗からの親書を手渡した。だが、スペインとの交易を目指した法王の取りなしという目的は達せず、翌年1月7日、ローマを出た。

 絵図を見つけた高橋由貴彦さんは「常長は顔つきから見て酒飲みタイプの男。ローマも冬はかなり寒い。宿舎で燗酒を飲みながら、故国の人々に思いをはせ、法王からの返事を待ったのでしょう。常長一行の人間味を表現した資料だと思う」と話している。

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2005年12月11日

高松塚で亀裂

朝日新聞:「高松塚古墳、石室床にも亀裂 解体に影響も

>奈良県明日香村の高松塚古墳の石室床に亀裂があることが9日、明らかになった。奈良文化財研究所が、奈良市で開かれた遺跡保存科学の専門家らによる研究集会で報告した。天井でもすでに亀裂が見つかっており、石室全体の劣化が進んでいるとみられる。壁画保存のために07年1月にも予定されている石室解体の作業を難しくさせる可能性もあるという。

早いところ、劣化を食い止める技術を開発して欲しいですね
でないと、貴重な遺産を無くしてしまうことになってしまいます
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2005年12月01日

キトラ古墳の壁画はぎとりで失敗

読売新聞:「奈良・キトラ古墳 北壁の玄武はぎ取りで5か所破損

もったいないことをしましたねぇ、非常に残念です

>奈良県明日香村、キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の壁画保存作業で、文化庁は30日、北壁の玄武(げんぶ)をはぎ取る際、蛇の頭など5か所を破損したと発表した。昨年8月の作業開始以来、壁画が損傷したのは初めて。同庁は「修復は可能」としている。

修復が可能といっても、やっぱり残念

それにしても、発掘すると痛みやすくなるということですが、かといって発掘しなければいろいろ知ることができない。なんとか両立させる方法はないものでしょうか?
posted by ! at 22:28| 東京 ☀ | TrackBack(1) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月24日

見つかるかな?

Flash24:「ローマ法王へ献上された安土城の屏風

>町長らが法王に持参のミニ屏風を手渡し「安土から来ました」と言うと、法王は「天正の使節の件ですね」と応じ、一行の調査に理解を示した。
 壮麗な城の姿は文書で伝えられているだけで、絵が現存すれば一級の史料。イタリアに帰国する宣教師や伊東マンショら少年4人の天正遣欧使節によって、屏風がバチカンまで届けられたことは分かっているが、当時の法王グレゴリオ13世の急死もあって行方が分からなくなった。


出てきたら是非見てみたい
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2005年11月13日

蘇我入鹿の邸宅跡?

Frash24:「蘇我入鹿の邸宅跡か 甘樫丘、書紀の記述裏付け

>大化改新(645年)で滅ぼされた飛鳥時代の大豪族、蘇我蝦夷と入鹿親子の邸宅があったとされる奈良県明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)の東南ふもとで、7世紀の建物跡や塀跡、焼けた土などが見つかり、奈良文化財研究所が13日発表した。谷を大規模に造成しており、日本書紀に「谷の宮門(はざまのみかど)」と記された入鹿邸の可能性が高いとみられる。

と言うことなんですけど、調査が進まないとまだまだ断定できないとは思います

当時天皇以上の権勢をふるったという蘇我氏ですからさぞかし立派な住居跡なんでしょうねぇ
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2005年11月08日

平安期の遺言状?

日経新聞:「遺言状の下書き?平安初期の木簡出土・奈良の下田東遺跡

>「重病で死にそうです。馬を飼うことができないのでお願いします」。平安時代初頭(9世紀初め)の地方の役人が遺言状を推敲(すいこう)したとみられる木簡が、奈良県香芝市の下田東遺跡から出土したと7日、同市教育委員会が発表した。上司に馬を献上して世話を託そうとの内容で、市教委は「当時の役人の生活の一端がうかがえる貴重な資料」としている。

 同遺跡は地方官庁か荘園の施設の跡とみられ、木簡は井戸跡から出土した。縦約37センチ、幅約11センチで、おけの底板を転用。豊足という人名と共に「進上御馬の事」「重き病にて御馬飼うに堪えず。伏して乞(こ)う」「死に至りてあれ、畏(かしこ)き公(きみ)に仕え奉らざるなり」などと、異なる表現で何度も記してあった。

 当時の公文書の規則に則した書式で、木簡に下書きしてから紙に清書し、上申したとみられる。木簡にはほかにも農作業や物品売買の記録が残っており、元は帳面として使った木簡らしい。市教委は「書類仕事が長かったらしく達筆」と話している。


よくも残っていたなぁと思います
今も昔も下っ端の役人さんは大変なんですねぇ


別記事
奈良新聞:「厳しかった?古代の役所勤め-平安時代初頭の木簡発見【香芝・下田東遺跡】

上の日経新聞の記事とはちょっと違っていて、具体的な木簡の内容の説明があってわかりやすく感じました

>「死に至る重い病気で御馬が飼えず、ご主人様に仕えられない―」と書かれた平安時代初頭の木簡一片が、香芝市下田東三丁目の下田東遺跡で見つかり、香芝市教育委員会が7日、発表した。文字は達筆で、役人らしい人物が墨書した上申書の下書きとみられる。古代史を研究する京都教育大学の和田萃教授は「個人的に親しい上司に対し、いい訳がましく訴えており、生の言葉を聞く思いがする。当時の地方役人クラスの生活を知るうえで貴重な史料」と話している。

 香芝市内で木簡が見つかったのは初めて。同遺跡からはこれまで古代の役所を示唆するすずりや墨書土器が見つかっており、役所の存在をさらに裏書する資料としても注目される。

 木簡は、奈良―平安時代の10棟の建物跡が見つかった集落跡内の深さ約2メートルの井戸跡中層から出土。一緒に出てきた土器から平安時代初頭と推定。長さ36.8センチ、幅11.1センチ、厚さ0.5〜1.0センチで、木簡としては大きいという。材質はヒノキと考えられ、元はおけらしい曲物の底板を転用したらしい。

 同木簡はきょう8日から23日まで香芝市藤山一丁目の二上山博物館で特別陳列される。


見に行きたいですけど、ちょっと遠いですねぇ。残念です

記事より画像を転載しました
mokkann.jpg
posted by ! at 21:15| 東京 ☀ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月04日

鎌倉時代の平均寿命は24才?

かなり過酷な環境での生活だったということになりますね
現在日本では、まだまだ子供扱いされる年齢が寿命ということになるのですから、ありとあらゆる面できつい時代だったのでしょう

NHKニュース:「鎌倉時代“平均寿命24歳”

>平田教授は「平均寿命の短さに驚いた。戦乱や災害、都市の劣悪な環境などさまざまな要因が重なっていると考えられ、中世の都市、鎌倉に住む人たちの多難な暮らしぶりがうかがえる」と話しています
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2005年10月31日

将軍様のコーヒー

ヤフー記事:「将軍コーヒー、お味はいかが?=徳川慶喜のひ孫が再現−千葉

>江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が飲んだとされるコーヒーを再現した「将軍珈琲」を味わう会が30日、千葉県松戸市で開かれた。慶喜の弟で最後の水戸藩主、昭武が余生を過ごした「戸定(とじょう)邸」が会場となり、参加者らは明治期のレトロな服装に身を包んだウエートレスに給仕され、歴史のロマンに思いをはせた

どんなコーヒーなんだろうか、飲んでみたいですねぇ
posted by ! at 20:30| 東京 🌁 | TrackBack(1) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月18日

法隆寺へ当て逃げ

産経新聞:「法隆寺の築地塀に当て逃げ? 屋根瓦2枚割れる

>15日午後3時40分ごろ、奈良県斑鳩町の法隆寺で、夢殿などが建つ東院の築地塀「東院大垣(とういんおおがき)」(国指定重要文化財)の屋根瓦2枚が、外側の町道に落ちて割れているのを参拝客が見つけ、同寺に届けた。

ひどいことをするものです
とっとと自首した方が良いんじゃないでしょうかねぇ
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2005年10月14日

ベートーベンの楽譜を発見

Flash24:「ベートーベン楽譜を発見 「大フーガ」自筆

>【ニューヨーク13日共同】13日付の米紙ニューヨーク・タイムズによると、楽聖ベートーベン(1770−1827年)が作曲した弦楽4重奏曲「大フーガ」のピアノ版の自筆楽譜がこのほど、ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のパーマー神学校で115年ぶりに見つかった。12月にロンドンで競売に掛けられる。
 楽譜は80ページあり、ほとんどは茶色のインクが使われている。走り書きや訂正、削除がそこらじゅうにあり、紙に穴が開くほど強く書かれた部分もある。日付は死去の数カ月前になっている。
 1890年にベルリンで競売に掛けられて以来、行方が分からなくなっていた。12月の競売では、170万−260万ドル(約2億−3億円)の値が付くとみられている。


とのことでした
早く聞いてみたいですねぇ。どこが一番最初に演奏するかなぁ
posted by ! at 19:05| 東京 ☀ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月07日

中国で最古の絵文字発見

朝日新聞:「中国で最古の絵文字発見 甲骨文字より古いと分析

>中国寧夏回族(ニンシアフイズー)自治区の西北第二民族学院は、同自治区中衛県で「中国で最古の絵文字が発見された」と発表した。新華社通信や6日付の中国各紙が報じた。最古のものは1万6000〜1万年前で、漢字の起源とされる甲骨文字より数千年以上も古いと伝えた。専門家は「中国の文字史を書き換える可能性がある」と指摘しているという。

文字の歴史がまた変わるんでしょうかねぇ
それにしてもどんな文字なんでしょうかリンク先には出ていないので不明です
posted by ! at 23:05| 東京 ☁ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月05日

吉備津神社本殿から修復時の職人の落書きが

出てきたそうです

山陽新聞:「半世紀前の職人“落書き” 屋根葺き替えで発見 吉備津神社本殿

>半世紀ぶりに桧皮(ひわだ)葺(ぶ)き屋根の葺き替え工事が行われている岡山市吉備津の国宝・吉備津神社本殿で、屋根を飾る箱棟(はこむね)の下地から、前回の葺き替え時に職人たちが残した“落書き”が多数見つかった。誇らしげに書かれた名前、日当などの記録から個人の願い事まで、大事業に携わった人々の息吹を伝える貴重なメッセージになっている。

 50年ぶりに日の目を見た落書きに、岡山市教委文化財課の根木修課長は「国宝の工事に参加した証しを残そうとしたのだろう」と推測。「落書きとはいえ、正式な記録に残らない一般の職人たちの実態が読みとれる。前回の修復を知る貴重な資料」と注目している。


職人さん達も、日々の仕事の合間にこういう文化財に落書きしてしまうんですねぇ
そのおかげで、当時の事を知ることができるというメリットもあるのですが、面白いものですねぇ
是非何らかの形で残して欲しいですし、見に行ってみたいですね
posted by ! at 20:27| 東京 ☔ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高松塚はどうなるやら

Flash24:「高松塚めぐり文化庁を批判 明日香村長「縁切りたい」

明日香村と文化庁が高松塚の壁画の取り扱いでもめているみたいですね
貴重な財産なので、ちゃんと扱って欲しいものですが、それ以前に壁画に対する権限で揉めているというのが何とも残念なことです
posted by ! at 20:22| 東京 ☔ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月23日

まぐろ

縄文人がマグロを食べていたとか

琵琶湖沿岸の遺跡からマグロの骨が見つかったということです
学校で習って、イメージしていた以上に縄文時代の人は豊かだったのですね


読売新聞:「縄文人はグルメ?琵琶湖東岸の遺跡でマグロの骨発見
posted by ! at 22:43| 東京 ☔ | TrackBack(0) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月16日

ドコモ関西古墳を破壊

ドコモ関西が、基地局建設工事を無届けで行い、古墳の大部分を破壊していたことが判明したそうな


>古江古墳は同法に基づき、「周知の埋蔵文化財包蔵地」に指定。土木工事などを行う際は、着工60日前までに届け出るよう義務付けられているが、ドコモは住民から指摘を受けるまでその事実を知らず、届け出をしていなかった。

と言うことなので、ドコモに全面的にミスがあったのかどうかは不明ではありますが、貴重な古墳を破壊してしまったことには変わりなく、ずいぶんともったいないことをしてしまったなぁと思います


ヤフー記事:「ドコモ関西が古墳を破壊 無届けの基地局建設工事で


かの国の企業(に限りませんが)と提携するとツキが無くなるなどと言った法則を聞きますが、ものの見事に法則発動していますね。ソニーもサムスンと提携して以来マイナス傾向ですし

6/14 ドコモが韓国LG電子とFOMAを共同開発すると発表

6/16 FOMAのエリア増強ため日本の文化遺産を破壊

ご愁傷様です
posted by ! at 22:15| 東京 ☔ | TrackBack(3) | 考古学・歴史的なもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする