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柴山発言、どこが「バカ」か」
子供の頃、友人らと「バカと言う者がバカだ」と言い合った覚えがある人は少なくないだろう。共産党の宮本岳志衆院議員が3日、自身のフェイスブックに書き込んだこんな言葉を見てふと記憶がよみがえった。
「またバカが文部科学大臣になった。教育勅語(ちょくご)を研究もせずに教育勅語を語るな!」
これは、柴山昌彦文科相が2日の就任後の記者会見で、明治天皇が人が生きていく上で心がけるべき徳目を簡潔に示した教育勅語に関し、次のように述べたことへの反応である。
「アレンジした形で、今の例えば道徳などに使える分野が十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分がある」
「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」
宮本氏がどれほど深く教育勅語を研究してきたのかは寡聞にして知らないが、この柴山氏の発言がどう子供じみた「バカ」という悪口と結びつくのだろうか。
政府は平成29年3月の閣議では、教育勅語を「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されていない」とする答弁書を決定している。
■新閣僚を「欠陥商品」
また、現在は安倍政権を激しく批判している前川喜平元文科事務次官も、初等中等教育局長当時の26年4月の参院文教科学委員会でこう答弁している。
「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して活用することは考えられる」
当時の下村博文文科相も「教育勅語の内容そのものについては、今日でも通用する普遍的なものがある」と述べており、柴山氏の発言は従来の政府見解と特段異なるわけではない。
宮本氏は、2日のフェイスブックでも第4次安倍改造内閣の顔ぶれについてこう「口撃」していた。
「在庫期間が長すぎて埃(ほこり)の被った商品や、すでに欠陥が明らかになった商品ばかりの品揃(しなぞろ)え」
閣僚たちを「埃の被った商品」「欠陥商品」と決めつけるのも品がなくどうかと思う。ともあれ、宮本氏は以前から過激な物言いを続けてきた。
6月16日のフェイスブックには、先の通常国会を延長する政府・与党の方針について「さあ、(予算委を)開くがいい、『この世の地獄』というものを体験させてあげよう」とおどろおどろしく記していた。きっと地獄についても真摯に(しんし)研究を重ねてきたのだろう。
■共産党議員の道徳観
宮本氏だけではない。共産党では28年6月のNHK番組で、当時の藤野保史(やすふみ)政策委員長が防衛費について「人を殺すための予算」と発言し、事実上更迭されたこともある。吉良佳子(よしこ)参院議員は26年10月、ヒトラーのちょびひげを施した安倍晋三首相の写真をツイッターに投稿していた。
「国家権力が国民に特定の価値観を押し付けることは、憲法の定める思想良心の自由を侵すことにほかなりません」
「(道徳は)さまざまなことを経験し学習することによって、自主的判断で選び、形成していくもの」
共産党はこう主張し、小中学校における道徳の教科化に反対している。だが、「自主的判断」で独自の道徳観を形成したらしい共産党議員の今日の言動をみると、より教育勅語の精神や道徳の教科化が重要だと思えてくる。(論説委員兼政治部編集委員 阿比留瑠比)
他人を罵倒したり、差別用語を躊躇無く使うのは左巻きとかぶっちゃけ反日勢力の方が多いでしょ
もちろんいわゆるネトウヨ的な人も使うけど、個人的な印象では反日的な連中の方がよっぽどひどい
教育勅語の内容だけで見れば、別に問題の無い言葉の羅列ですし、無理にこれを使う必要もないでしょって言われれば
そういうものかもしれませんが、
内閣で、憲法や法に反しない範囲であれば教育勅語を使うことを否定しないとしている以上、全然問題ないですし
柴山文科相が自ら言い出したわけでは無く、記者の質問に答えただけのことですし、何が問題なのかなと
どうしても文科相の非を問うのであれば、カスゴミが発言を操作して安倍内閣に非があるように報道するから発言の仕方には気をつけるべきでしたってことくらいでしょう
しかし、何を言っても切り取って印象操作ができるマスコミにかなうわけも無く
生放送以外では何もしゃべらない方が良いって言うのが最適解な訳で、政治家にはどうしようも無いってことになります
できるなら、
国を代表しての報道機関の設置
マスゴミが基本的に反日団体のご用機関になっている以上国で報道チャンネルを用意するしかないです
それから、運用が難しいかもしれないけど、やっぱりマスコミの放送についての法的な縛りを実行するしか無いでしょう
自制出来ず、報道の自由を盾にやりたい放題な連中に、司法がメスをいれらるようにするのは、これこそ喫緊の課題では無いかと思いますね
国民の権利も大事だけど、それは国が保障しているからであって
国がなければ無意味なことでは無いでしょうか?
日本国民が諸外国へ行って、同じ権利を行使できるかどうか考えればわかりそうなものですよね
他国で参政権を行使できないとかいろいろ言うまでも無いかと
だからこそ自分の国を大事にして、いざって時に行動するのは当然じゃ無いのかなぁと
そうならないように政治家が奮闘すべきってのは前提ですけどね
少なくとも今の与党にそういう積極的に戦争をやりたがっている人は見受けられないですが
消極的な戦争といって良いのかな?国を守るための戦争であっても目の色変えて騒ぎ出す連中が不思議でしょうがないです
守ることも許さないってことになったら、自分ら庶民は侵略国による暴虐の限りを尽くされるのは
支那の周辺民族の悲惨さを見ればわかるでしょうに
今支那がやっていることを見ていて、支那が日本へ侵略してこないって誰が保証してくれるのかしらね
そういった意味では支那朝鮮の連中を観光などで迎え入れてしまっているのはうかつすぎると思ってますよ、本当に
今の日本って人民解放軍に進駐されてしまっている状態
支那人を多数受け入れちゃって・・・アホすぎるやろって
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181004-00000519-san-polブログランキング にほんブログ村
posted by ! at 20:15| 東京 ☔|
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