2017年02月17日

信頼を裏切って、金を得たんでしょ?>朝鮮人より外道じゃないかhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170217-00010000-spht-soci

yahoo:「金正男単独インタ五味氏が会見「真摯な関心を持っていたのは僕だけ」

マレーシアで13日に暗殺された北朝鮮・金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏(45)の単独インタビューやメール対話をまとめた「父・金正日と私 金正男独占手記」(文芸春秋)を2012年に出版した東京新聞編集委員の五味洋治氏(58)が17日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で会見した。
▽以下、五味氏が話した要旨

 今回の金正男さんの毒殺については個人的にも非常にショックを受けています。(一緒に会ったことがある)私の妻もショックを受けていて、昨日の夜も何回も泣いていました。本の出版を一番反対したのは私の妻です。それは2011年1月、(マカオで)金正男さんと会った時に妻が同行してくれたからです。当時私は子どもがいませんでしたので、正男さんを取材しトラブルになったとき、行方不明になるとまずいので一緒に行ってくれ、と頼みました。同意して私が取材しているところを写真に撮ってくれました。

 会社(東京新聞)には取材のことは言わず、机の中に手紙を入れて置きました。万が一いなくなったらこのホテルに泊まり、この便に乗り、ここに行く予定だったと書いておきました。正男さんが来ない可能性もあるので来ない場合は観光旅行をしようと思った。私がなぜリスクを負ってまでなぜマカオに行ったのでしょうか。それには私が長年携わっていた北朝鮮報道に対する考え方があります。日本ともっとも敵対している国です。しかし、うわさ話、政府当局者の話が先行し、実名で語ってくれる人がいません。そのため、彼に実名で写真をとってビデオを撮っていいかと確認して、原稿を見せて東京新聞の記事(11年1月28日付)にしました。
■北朝鮮の体制のあり方に批判的

 その後、彼から「本国から警告があった。政治に関する話はしないが、あなたとの交流は続けましょう」というメールが来ました。

 その年の5月、北京で再会し、その後もメールで交流しました。そして12月に正日氏が亡くなり、北朝鮮に対する懸念、不安が高まりました。

 積み重ねた取材を本にしていいか、ということは正男さんから許可を得ています。「ただしタイミングが悪い。今は待ってくれ」と言われたのは事実です。私はタイミング的に微妙な時期だったが、彼の人間性を伝えることこそ、北朝鮮に対する理解が進み、他の国との関係も改善されるという信念のもとに本を出版しました。彼の主張を要約すれば北朝鮮の体制のあり方に批判的だったということです。最初には権力の世襲は社会主義と合わず、指導者は民主的な方法で選ばれるべきだと言っていました。中国式の経済の改革開放しか生きる道はないと言っていました。皆さんがこの発言で暗殺されたとお考えなら、この発言で暗殺されるということに(問題があると)焦点を当てるべきでしょう。


■金正男氏の勇気を賞賛

 この3日間、英語、中国語圏、韓国語圏から数百件の電話を頂きました。私は皆様方にお勧めします。ご自分で直接ソースに当たって取材してみてください。それが北朝鮮を変える力になります。もともと金正男さんに関心を持ったのは、2004年9月に北京国際空港で偶然出くわしたからです。遊び人で、女性関係も複雑、ギャンブル好きと言われていましたが、実際にはインテレクチャルで礼儀正しく、ユーモアもある(イメージとの)落差を感じました。(彼なら)率直に話してくれるのではないか、と7年間、彼と接触して私なりの努力をしました。私もかなりのリスクを冒して彼と会いましたが、今、称賛したいのは彼の勇気です。彼がたとえその後、命ごいの手紙を出したとしても、命懸けで現体制の批判をしたのだと思います。

 一番記憶に残っている言葉を一つ紹介します。彼は少なくとも5回日本に来ています。東京の高級な飲食店でお酒を飲むのが好きだと言っていました。韓国や北朝鮮の人、一緒に歌を歌い、酒を飲んで楽しんでいた。いつか(社会全体が)このように壁がなくなればいい。私は外交関係の記事を書きますが、時々彼の言葉を思い出しながら記事を書いています。できれば彼の言葉をより多くの人に聞いてもらい、現在の北朝鮮を変えていく力になればと思っています。

 最後に今回の事件についての見方の質問をたくさん受けます。正直に言うと私がコメントする十分な材料がありません。推測で話すことは私が最も避けたいことです。昨日妻とも話し、彼を悼み、妻とその思いを共有し、世界中の彼の友達とも共有したいということです。心が非常に混乱しております。
▽以下質疑応答

 ―正男氏が東京ディズニーランドに来たことが世襲から外れる原因となったと考えるか。

 「本人に聞いたことがあります。日本に来たことが直接世襲から外れた原因になったとは思わないと言っていました。本にも書きましたが、偽造パスポートで入国したことを非常に恥ずかしいことだと言っていました。これ以降、北朝鮮はシステムを変えて偽造であっても北朝鮮パスポートを使うことになったと言っていました。(暗殺された時に)彼が使っていたパスポートは偽名でしたが、彼が言っていたことは守られていたということです」

 ―(母が)正妻ではなかったということから後継者になる可能性はなかったという見方もあるが。

 「私の聞いた範囲でお答えします。彼は9歳でジュネーブに留学し、20歳になる前に帰国しました。そのときにお父さんの正日さんと全国を歩き、経済の状態を視察したそうです。ヨーロッパで見てきた世界と北朝鮮の世界があまりにも違うことから仲たがいし、生活は荒れ、最終的に北朝鮮を去ることになったと聞いています。その話からして私は、(当初)お父さんからは後継者と見られていたと判断しています」

 ―最後に連絡を取ったのは。

 「2012年1月3日のことです。その時には身辺に危険が高まっているとは聞いていませんでした。その後も彼が目撃された場所に取材に行きましたが、強く警戒している感じはなかったと周りの人は言っていました」

 ―正男氏はどこから収入を得ていたのか。

 「どんな仕事をして生きているのかと聞きました。その度に彼ははっきり答えませんでした。投資の仕事をしているというだけでした。それ以上の手掛かりはありません」

 ―正男氏のことは北朝鮮でどう思われているのか。また、正日氏との視察はいつ頃か。

 「正男さんの存在は忘れられています。ただ携帯電話の普及で、彼の発言を知る人は増えているそうです。日本で会ったある脱北者がこう言っていました。うわさ話で長男が北朝鮮の批判している。なにか変わるきっかけがあるかもしれない。それが反体制運動につながったかは分かりません。たぶんなかったでしょう。それほど重要な地位にあるなら一人で空港に出掛けたり、海外であちこちいく行動はしないと思います。視察の時期はたぶん1990年代前半だと思います」

 ―最初に正男氏と会ったのはいつか。

 「最初の出会いは2004年。北京の空港で偶然見掛けたことです。2010年10月に再びメールをしました。その後、マカオなどで会い、最後の連絡は2012年1月。計7時間話を聞き、150通のメールのやりとりをしました。フランス語、英語、ロシア語を話し、日本語は日常生活程度、中国語は得意でないようでした」


■中国は正式な反応を示していない

 ―暗殺命令は誰が出したのか。正男氏と中国との関係は?

 「暗殺命令について私が言える確実な証拠がありません。中国と彼との関係についてお話します。中国の公安当局がついていると認めていました。私が会ったときには中国人ドライバーの出迎えを受けていました。ここ数年は『保護が煩わしいと言っていた』と彼の友人から聞きました。ここ数年東南アジアを行き来していたのは私も確認しています。中国と彼との順調ではなかったと私は見ています。中国はまだ正式な反応を見せていない。それは戸惑いの証拠だと思います。もともと北朝鮮と中国は朝鮮戦争では同盟関係にありましたが、ますます関係が悪くなるのではないかという感じはしています」

 ―正日氏の死去について正男氏は何と言っていたのか。

 「正日氏が亡くなった直後にも慰労の言葉を送ったが、何日も返事がありませんでした。これで連絡を終わりにすると来て以降。父が亡くなった悲しみを感じることはできませんでした」

 ―なぜ正男氏は五味さんを取材を受ける相手に選ばれたのだと思いますか。

 「それは簡単なことなんです。正男さんが2001年に不法入国されて摘発されてから後継者レースから外れた。追いかけても意味がないとほとんどの人が感じました。2004年に偶然彼と会ってから魅力というか力というか、話をしてくれる人で。自分の時間とお金を使ってマカオ、北京、シンガポールに取材に行きました。平壌で翻訳して彼も記事を読んだらしい。彼に対して真摯な関心を持っているのは僕だけだったのではないでしょうか。それを彼も感じてくれたのだと思います。自分の危険を感じながらも。2011年1月にマカオでインタビュー受けるときにも全身に汗をかいて苦しそうに受けていました。彼も自分なりにこの発言が(北朝鮮に)どうとられるかと感じていたかと思うと心が痛みます」

 ―正男氏は正恩氏と会ったことがあるのか?

 「正男氏は正恩氏と会ったことがないと言っていました。2番目の息子の正哲氏とは会ったことがあると言っていた。会ったことがないので正恩氏の性格についてはコメントできないと言っていた。多くの脱北者も(2人は)会っていないのではないかと言っていた。正男さんは(留学中の)スイスではいろんな国籍の人と付き合って楽しかった。ヨーロッパでは自分の見聞を広めたと言っていました」


外道の一族とはいえ、その信頼を裏切って本を出版したのは、さすが東京新聞の記者ということですね
その出版が暗殺につながったという人もいますけど
こうやって記者会見に出てくるあたり、人の死をなんとも思ってないんでしょう

いずれ、同じような結末が待っているんじゃないですか?
日本にだって暗殺部隊は入って来ていることでしょう


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170217-00010000-spht-soci


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posted by ! at 20:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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