2016年08月17日

競争を強要してきた結果ですよねhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160810-00000038-mai-soci

Yahoo:「<日航機墜落>翌日に凄惨な現場に 今も思う「大切な安全」

◇日航パイロット、群馬の実家に帰省予定を変更して……

 航空史上最悪の520人の犠牲者を出した1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で31年。事故翌日に現場に駆けつけた日航パイロット(当時)の佐藤進さん(63)が、沈黙を破って初めて取材に応じた。凄惨(せいさん)な現場を目の当たりにし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされながらも、安全運航を徹底してきた元機長。5年前にパイロット人生に幕を下ろした今、事故の風化で安全がおろそかにされかねない現状を危惧する。

 あの年の8月12日は夜に家族と群馬県下仁田町の実家に帰省予定だった。事故を知って会社に駆けつけると、後に航空ジャーナリストになった先輩の藤田日出男さん(故人)がいた。「何が起こったのか」。2人は自主判断で現場に向かった。

 地元の宿に泊まり、13日は日の出とともに出発した。「生存者がいてほしい」。無言でクマザサをかきわけ、険しい山道を進んだ。1時間以上進むと、山の尾根の樹木が削られていた。後に「U字溝」と呼ばれる、翼がかすった跡。「機長は最後の最後まで飛行機を立て直そうとしたんだな」。涙がぼろぼろこぼれた。

 乗客のバッグ、子どものおもちゃ……。現場には焼け焦げた飛行機の残骸などが散乱していた。強烈なにおいが鼻にこびりつき、息苦しかった。

 メモ帳を見つけた。副操縦士が機長の指示などを書き留める「ブリーフィングメモ」。佐々木祐副操縦士の丁寧な筆跡が残っていた。遺族に渡そうと持ち帰った。

 その後、不眠や食欲不振に悩まされ、半年間で体重が5キロ落ちた。それでも「必死で記憶を閉じ込め」、機長試験にパス。フライト前日は天気図を念入りにチェックしてあらゆる可能性を想定するなど、安全には徹底してこだわった。

 58歳で引退したが、事故を知る世代は大半が社を去り、風化が進んでいるように感じる。空の事故も後を絶たない。「飛行機会社も乗客も、安さと時間にこだわりすぎではないか。最も大切なものは利益追求ではなく、安全のはずだ」【鈴木敦子】


大事なものを無視して
競争に耐えることだけが重視されているから、こういうことが起きてしまうんだと思いますよ

そして今でも同じことが何度も何度も繰り返されていますよね
豊かさがもたらす余裕が、安全を作り出すんじゃないでしょうかねぇ

必要な経費はかけるべきだし、それに伴う費用を利用者は支払うべきでしょう
いやなら安かろう悪かろうってことになるだけですよ


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160810-00000038-mai-soci


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posted by ! at 20:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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