2014年02月17日

いろいろ証拠は出てきてもなぁ #竹島 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140217-00000100-san-soci

Yahoo:「李承晩ライン設定後 竹島渡航の海図発見 隠岐の漁業拠点、裏付け

韓国が李承晩ラインを設定し一方的に竹島(島根県隠岐の島町)を含む海域の主権を主張した直後の昭和27、28年ごろ、同町の漁師が渡航に使用したとみられる海図が現存することが17日、同県の竹島問題研究会の調査で分かった。李承晩ライン設定後も竹島周辺でしばらく日本人が操業したことは知られているが、直接的な海図の発見は初めて。研究会は「島民に竹島が身近だったことを裏付け、自分たちの領域と思っていた証しになる」としている。

 海図は、旧日本海軍水路部が昭和10年に発行した海図162号「日本海西部」(24年改正版)。研究会が、同町の漁協、JFしまね西郷支所五箇出張所久見荷捌所で見つけた。

 当時、現地で操業していた漁師、浜田正太郎さんが竹島に渡航した際に使ったものとみられ、海図には、鉛筆で浜田さんの居住地の同町久見と竹島を結ぶ線が引かれていた。また、目印にしたとみられる鳥取県大山方面に引かれた線もあった。

 研究会は久見地区で聞き取り調査を行い、浜田さんらが昭和27、28年頃、リン鉱石採掘で竹島に渡航時に使用した海図と確認した。浜田さんは昭和初期、アシカ猟のため竹島に渡航し、16〜18年頃は肥料や化粧品に使うため竹島でリン鉱石を採掘していたという。

 戦後の1951(昭和26)年、サンフランシスコ平和条約で竹島は日本の領土と認められたが、直後の1952(同27)年1月、韓国は李承晩ラインを設定し一方的に竹島を含む海域の主権を主張、竹島周辺の緊迫が高まるなか、浜田さんは昭和27、28年頃に竹島に複数回渡航していたとみられる。

 研究会によると、李承晩ライン設定後も竹島周辺でしばらく日本人は操業したが、韓国による漁船の拿捕(だほ)や銃撃事件などが続き、昭和29年頃からは竹島に近づけない状態が続いている。

 研究会は「海図の線の引き方などを見ても、竹島が隠岐の漁業の日常的な拠点だったことは明らか」と話す。県は、複製を松江市の竹島資料室で展示している。

【用語解説】李承晩ライン

 1952(昭和27)年1月、当時の韓国の李承晩大統領が海洋主権宣言を行い、国際法に反してライン内側の水域への漁業管轄権を一方的に主張したもの。ライン内に竹島も取り込まれ、日本側は、李承晩ラインは公海上における違法な線引きであると主張。竹島の占拠は国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠と訴えている。


こうやっていくつもの具体的な証拠が出てきたところで、非道な朝鮮人どもが竹島を帰すことはないでしょうね

とにかく日本政府は、李承晩ラインのことや、その頃に朝鮮人が日本国内でどんなことをやらかしたのか
何の罪もない漁師さんたちを拉致したり、殺害したことをしっかり表に出し、国際世論に朝鮮人の非道ぶりを訴えていくしかないんじゃ無かろうか?
力尽くは無理だろうし・・・


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140217-00000100-san-soci


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ラベル:竹島 南鮮
posted by ! at 20:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 竹島とか領土問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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