2012年10月09日

山中京大教授のノーベル賞受賞について>政治に絡めてます

Yahoo:「<山中氏ノーベル賞>「難病治したい」繰り返した挫折、再起

>「人間万事塞翁(さいおう)が馬」(人生の幸・不幸は予測できない)

 8日、今年のノーベル医学生理学賞に輝いた山中伸弥・京都大教授(50)は、この言葉を心の支えに研究に力を注いできた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)の開発を発表してからわずか6年。50歳の若さで最高の栄誉を手にした。しかし、開発までの半生は挫折と再起の繰り返しだった。

【難病患者との交流についても】再録・時代を駆ける:山中伸弥/8止 iPSを成人させたい

 ◇夢は整形外科医

 最初に目指したのは整形外科医だった。中学、高校で柔道に打ち込み、足の指や鼻などを10回以上骨折した経験からだ。スポーツ外傷の専門医になろうと、神戸大医学部を卒業後、国立大阪病院(大阪市、現・国立病院機構大阪医療センター)整形外科の研修医になった。

 しかし、直面したのは、治すことができない数多くの患者がいるという現実だった。最初に担当した慢性関節リウマチの女性は、みるみる症状が悪化し、痩せて寝たきりになった。山中さんは「枕元にふっくらした女性の写真があり、『妹さんですか』と聞くと『1〜2年前の私です』という。びっくりした」と振り返る。手術も不得手で、他の医師が30分で終わる手術に2時間かかった。「向いていない」と痛感した。

 ◇基礎研究に転換 

 有効な治療法のない患者に接するうち、「こういう患者さんを治せるのは、基礎研究だ」と思い直した。病院を退職し、89年に大阪市立大の大学院に入学。薬理学教室で研究の基本を学んだ。「真っ白なところに何を描いてもいい」。基礎研究の魅力に目覚め、実験に没頭した。論文を指導した岩尾洋教授は「彼の論文は完成度が高く、ほとんど直さなくてよかった」と語る。

 大学院修了後、米サンフランシスコのグラッドストーン研究所に留学。当時のロバート・メイリー所長から、研究者として成功する条件は「ビジョンとワークハード」、つまり、長期的な目標を持ってひたむきに努力することだと教えられた。マウスのES細胞(胚性幹細胞)の研究に打ち込んだ。

 しかし、96年に帰国すると、再び苦しい時が訪れた。研究だけに没頭できる米国の環境との落差に苦しんだ。「議論する相手も研究資金もなく、実験用のマウスの世話ばかり。半分うつ状態になった」。研究は滞り、論文も減った。やる気を失っていった。

 ◇救った出来事

 「研究は諦めて臨床へ戻ろう」。思い詰めた山中さんを、二つの出来事が救った。

 一つは、98年に米の研究者がヒトES細胞の作成に成功したこと。大きく励みになるニュースだった。

 もう一つは、奈良先端科学技術大学院大の助教授の公募に通ったこと。「落ちたら今度こそ研究を諦めよう」との思いで応募した。「研究者として一度は死んだ自分に、神様がもう一度場を与えてくれた」。99年12月、37歳で奈良に赴任した。

 翌春、山中さんは大学院生約120人の前で、「受精卵を使わないでES細胞のような万能細胞を作る」と、研究テーマを語った。学生を呼び込むために考えた「夢のある大テーマ」だった。現在、京都大講師の高橋和利さん(34)ら研究室に入った大学院生との挑戦が始まった。

 ◇患者に役立つ技術に

 03年には科学技術振興機構の支援を受けることが決まり、5年間で約3億円の研究費を獲得した。面接した岸本忠三・元大阪大学長は「うまくいくはずがないと思ったが、迫力に感心した」。研究は当初、失敗の連続だったが、今度は諦めなかった。「学生や若いスタッフが励ましてくれたから、乗り切れた」。マウスの皮膚細胞を使ってiPS細胞の作成に成功したのは、その3年後だった。

 今は「この技術を、本当に患者の役に立つ技術にしたい。その気持ちが研究の原動力」と言い切る。新薬の開発、難病の解明、再生医療など、今や幅広い分野でiPS細胞の研究が進む。「10年、20年頑張れば、今治らない患者さんを治せるようになるかもしれない」−−。抱き続けた夢がかなう日は、もう遠い未来ではない。

 ◇交流の難病と闘う少年も涙「すごい先生です」

 筋肉が骨に変形する難病と闘う兵庫県明石市立魚住中3年の山本育海(いくみ)さん(14)は、山中さんと交流し、iPS細胞を使った治療法の確立の夢を託してきた。「iPSが世界中に広まって研究が進み、薬の開発が早くなると思うとうれしい」と受賞を喜んだ。

 育海さんは小学3年の時、「進行性骨化性線維異形成症」(FOP)と診断され、支援団体「FOP明石」の署名活動などで07年3月に国の難病指定を受けた。iPS細胞が難病の治療に役立つ可能性があると知り、09年11月に山中さんに面会。10年2月には「一日も早く薬を開発してほしい」と体細胞を提供した。今年もシンポジウムの会場やテレビ番組で山中さんと面会した。

 この日、山中さんの受賞が決まると、明石市内で記者会見。母智子さん(39)と手を取り合って「本当に良かった。すごい先生です」と目に涙を浮かべた。智子さんは「3年前に初めてお会いしてから、本当に優しく接していただいている。今回の受賞でFOPの研究に、もっともっと光が当たってほしい」と話した。


山中教授、ノーベル賞受賞おめでとうございます

この研究がさらに進むことで、多くの患者さんが救われるようになっていくことを期待したいです。自分もいつかとんでもない病気になる可能性がありますけど、こういう素晴らしい研究の恩恵にあずかれる日が来るかもしれませんし

さて、こういう研究には多額のお金がかかります
麻生政権では研究費を用意したそうですが、ところが民主政権下での事業仕分けで研究費が削られました。そのとき日本人のノーベル賞受賞者など多くの科学者さんが民主党の事業仕分けに反対したことは記憶に新しいところです。同時に文化伝統芸能への予算も削ってましたね

ただ国の予算に余裕がなければ、こういう研究費に予算を回すことが難しいんですよね
これについて、道路など公共事業に金を回すことが無駄だから、と仰る向きがおられます
それは大いに間違っていると考えます

今回の震災において復興が進まない要因の一つに、当然民主党の不手際がいちばん大問題なんですけどね、公共事業が減らされて建設業者が減っていることがあるそうです
普段そこそこ工事がなければ建設業者は小さいところから潰れていきます。大手しか残らなければ各地の工事に回りきれませんがな。つまりそれだけ復興が遅れていくことになりますよ?

スカイツリーの工事でもクレーンの取り扱いに熟知した企業がありました
震災直後、一週間かそこらで道路を復旧した工事会社がいました
でも、今後も公共事業が減っていけば、そういう熟練した工事会社が減り、緊急時に何も出来なくなってしまう恐れがあります

それに、コンクリートより命とか言っていた民主党でしたが、堤防は津波を軽減する力がありますし、洪水を防ぐ手段でもあります

ある意味建設業者を生かしておくことは、将来への保険なのです。いざって時に存在しなければ復興工事が出来なくなるのです。安易に無駄だからと言ってしまって削ってしまえば、自らの首を絞めるようなものだということを忘れてはいけないと考えますね

そして、地元の就職事情とかを考えても大事にしても罰は当たらないと思うんですけど、何が何でも無駄無駄というのはおかしいです

見直すべきは見直すにしても、大筋において公共事業は意義あることとして一定量以上残しておくことは大事ですよ


話が大きくそれましたけど、
そういったこともできる、貴重な研究も出来るように予算を確保するには
社会全体の景気が良くなければ出来ません
不幸にして貧しい国は、公共事業も技術開発も出来ないコトになってしまってますよね
日本がそうならないように景気回復策を進め、多少税金を払っても困らないくらいの収入へ増やすことが国の急務なのに、何もしない

やはり責められるべきは民主政権ですね!


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121008-00000044-mai-soci


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posted by ! at 19:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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